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  • 2014.09.22
  • コラム

コラム 田辺安啓(ゴルフフォトグラファー)

 

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ゴルフの写真と言っても、ありとあらゆる写真がある。
9cゴルフコースの写真もあれば、アイアンやボールの写真もゴルフ写真だ。
選手の写真ももちろんそうだが、試合中のプレーの写真もあれば、クラブハウスのテラスや街角に佇んでもらって撮影するポートレートもある。
アマチュアを撮影したり、スポンサーさんのおエライさんを撮影したりもするし、早朝や夕方にメンテナンススタッフがフェアウェイの芝を芝刈り機で刈っている写真もゴルフ写真だ。
試合観戦に来ているギャラリーだって、ゴルフカメラマンの被写体になる。
撮影時間だって長い。
メジャー大会ともなれば、夜明け前から日没後まで、文字通り1日中撮影することだってある。
僕は、ほかのスポーツの撮影はしたことがない。
それでも、長年ゴルフフォトグラフィーの仕事をしてきて思うのは、ゴルフほどさまざまな対象物をさまざまな条件化で撮影するジャンルは無いのではないかということ。
そしてそのすべてに“シャッターチャンス”という瞬間がある。

 

僕は1990年代から米ツアーでゴルフフォトグラファーという仕事を始めたのだが、石川遼が米ツアーにやってきた2009年から、石川遼を追って1日中コースを歩くという仕事が急に増えた。

 

10cある日には、「石川は早朝からコースに来て練習するそうだ」ということで、眠い目を擦りながら夜明け前に試合会場へ来て撮影の準備をした。
すると、情報通りにまだ夜が明けきらないうちから石川がコースへ現れた。
吐く息が白くなり、手も凍えそうな気温の中でボールを打ち始めた。
別の日には、夕方にラウンドが終わった後、石川はわずかに残った夕陽のなかでボールを打ち始めた。
写真の石川は、シルエットになった。

 

灼熱の太陽の下で、足元の不安定なロープ際を歩かされることもしばしば。
ところが急に空が曇り、雷鳴が轟く。
中断前の一瞬、雨が舞う中の表情に、その日一番のカットが撮れた。

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その直後にプレー中断のサイレンが鳴り、選手はカートでクラブハウスへ引き上げるが、残されたこちらは機材を担いで雨宿りできる場所を探す。
真っ黒な雨雲をにらみつけながら、メディアセンターまで駆け足で避難することもあった。

 

早朝から夕方まで、雨が降ろうが風が吹こうが、暑かろうが寒かろうが、石川遼を追う日々は続いた。
1日の拘束時間は、軽く8時間を越える。
もちろん、フリーランスの僕には残業代など出ない。
ところが、石川を撮影していると、楽しいのだ。

 

石川が米ツアーにフル参戦を始めた2013年、予選落ちが続き、石川の表情が曇りっぱなしの日々が続いた。
8月の入れ替え戦で辛くもシードをキープしたが、それまでの約8ヶ月間はただただ我慢の毎日だったように思う。
そんな石川が入れ替え戦の第2戦から復調の兆しを見せ、新シーズンがスタートした10月には復調の波が大きくなっていった。
そして、石川の表情には笑顔が戻ると同時に、フォトグラファーの足取りも軽くなっていった。

 

石川のコースを歩く姿、ボールを打つ瞬間、風を読む表情、ミスショットの時のリアクション、そして、ビッグプレーの際のビッグアクション。
ゴルフフォトグラファーがよく使う言葉で表現すれば“絵になる選手”なのである。
絵になる選手を撮影していると、時間を忘れる。
機材も軽く感じる。
1日に1回あるかないかというシャッターチャンスのために、ゴルフフォトグラファーは機材を担いで歩き続けるが、その1回のシャッターチャンスにめぐり合うことができれば、あらゆる苦労は報われるのである。
ガッツポーズだけがシャッターシャンスじゃない。
石川遼その人自身が“シャッターチャンス”なのかもしれない。

 

石川遼の2014年シーズンはプレーオフ第2戦で終了した。
本人にとっては満足できる結果ではなかったかもしれないけれど、シードをキープするという最低限度の目標はクリアした。
10月から始まる新シーズンを待つ今、石川の表情は明るい。
次のシャッターチャンスにはどんな表情を見せてくれるだろうか。
楽しみで仕方がない。

 
 

Yasuhiro JJ Tanabe 1 田辺安啓(たなべやすひろ)
 
1972年、福井県出身。
アメリカの大学留学中にゴルフを始め、卒業後、サウスカロライナ州のゴルフ場に勤務。
メンテナンスや接客の現場からアメリカのゴルフ業界を学ぶ。
2008年からフリーランスのゴルフフォトグラファーとして男女米ツアーを中心に年間30試合以上を取材し、日本の雑誌、新聞、ネット媒体などに写真・情報を提供している。
通称“JJ”。